超域

今回私は第7回ユダヤ人と杉浦千畝六千人の命のビザのレジュメに関連した杉浦千畝についてレポートを書くことにした。この内容を選んだ理由として、初めて彼の存在を知ったのがこの授業であり、その時授業で流れたDVD観て、またこの回の内容の授業を受けた時私は衝撃を受けた。こんな日本人がいたことに。また、彼のその時どういった気持ちでそのような行動をとったのか、彼の考え方をより知りたいと思ったのである。こういったことからこの内容をレポートにすることに決めた。

杉浦千畝すぎはらちうねは東洋のシンドラーとも呼ばれる外交官である。彼は、第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスという都市で、ナチスドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで知られている。

1900年1月1日、岐阜県加茂郡八百津町に父好水、母やつの次男として生まれる。

1919年早稲田大学高等師範部英語科中退、外務省留学生としてハルピンでロシア語を学ぶ。

1924年外務省に奉職。満州フィンランドリトアニア、ドイツ、チェコ、東プロセイン、ルーマニアの日本領事館に勤務する。

1940年7月、ナチスドイツに迫害されていたユダヤ人たちは、日本通過ビザを求め日本領事館に押し寄せた。オランダやフランスもナチスに占領され、ソ連から日本を通って他の国に逃げるしか、もはや助かる道がなくなっていたためである。千畝は5人のユダヤ人代表を選び話を聞いた。数人のビザなら領事の権限で発行できるが、数千人のビザとなると本国の許可がいる。電報を打って問い合わせたが、日本政府からユダヤ人難民にはビザを発行しないよう言われ続けていた。一晩中考えぬいた結果、外交官としての自分の立場や外務省の指示ではなく、自らの判断でビザを発行することを決断した。それからおよそ1か月の間、千畝はビザを書き続け、これにより6000人8000人ともいわれるユダヤ人の命が救われた。

1946年その後、チェコルーマニアなどで勤務し日本へ帰国。翌年、訓令違反のビザ発給を理由に退職に追い込まれたことから外務省を退職した。

これが、杉浦千畝の生きてきた過程である。

(1)彼はなぜ自分の立場や外務省の指示より自らこの判断をしたのか。

(2)自分だけでなく家族も危険な状態にも関わらず杉浦の意思を尊重した家族の想いとは。

(3)杉浦千畝の気持ち。

1このような外交上の事態では、本国に指示をあおぐのは当たり前のことであり、杉原が外務省からの指示に従いビザの発給を断ったからといって、それは誰からも決して責められるものではなかったはず、しかし遠く離れた地にいる者には分からない、一刻を争うような状況を肌で感じ、必死で助けを求める、生きたいと願うユダヤ人たちを目の前にした杉原は、外交官としての自分の立場や外務省の指示よりも、人間としてなすべきことを優先させた。

2妻幸子さんは杉浦の一番の支えであった。危険と隣同士にも関わらず、杉浦の意思や気持ちを常に信じてきた。そうできたのは、杉浦自身の人柄、考え、そして助けたいという気持ちが家族に痛いほど伝わったからである。家族の理解と後押しがあったからこような決断を出来たことは過言ではない。

ユダヤ人の生きたいという気持ちを直に受け取ったのであろう。自分なら何千人の命を救える。自分が行動すれば一人でも多くの命を救える。と。

同じ人間として、同じ家族がいる一人としてユダヤ人の命を救おうと思った。

ー杉浦千畝名言ー

私のしたことは外交官としては、

間違ったことだったかもしれない。

しかし私には頼ってきた何千人もの人を

見殺しにすることはできなかった。

大したことをしたわけではない。

当然のことをしただけです。

外務省に背いて領事の権限を使って

この人たちにビザを発行しようと思う

私たちと同じ立場の人が仮に百人いたとしても

このユダヤ人たちを助けようとしないかもしれない。

でも僕たちはやろうか

私に頼ってくる人を見捨てるわけにはいかない。

でなければ私は神に背く

世界は、大きな車輪のようなものですからね。

対立したり、あらそったりせずに、

みんなで手をつなぎあって、

まわっていかなければなりません。

彼の勇敢な行動はたくさんの命を救い、世界を動かした。自分の地位や名誉などではなく生きたいと願う人の気持ちを第一に考えた。授業で観たDVDでは列車でベルがなっても、列車に乗っても最後の最後までサインをし続けたあのシーンはとても印象的である。手が動かなくなるほど必死になり、たくさんの命を助けたにも関わらず、サイン出来なかった子供達を見て涙を浮かべた杉浦の気持ちはとても辛いものであっただろう。しかし、このように何年、何十年、そしてこれから何百年月日が経ったとしても杉浦千畝という人物の存在は世界中の中では消えるものはない。世界には差別や偏見、それにあたる争いなど、まだまだ存在するが、世界で一番大切な命、一人にたった一回しかない人生を私は大切にしなければいけないと思う。そして、そういった考えを誰もが思えるそんな世界になればと強く願う。私は杉浦千畝を心から尊敬する。そして、彼の考えや勇気のある行動を自分の人生において見習っていかなければいけないことが多くあることをこの授業を通して知ることができた。

(参考文献

杉浦千畝物語ー命のビザをありがとう

著者杉原幸子杉原弘樹の共著書。

幸子さんは杉原千畝の妻

弘樹さんは杉原千畝の長男。

映画&DVD

杉浦千畝

監督チェリングラック

日本のシンドラー杉浦千畝物語

六千人の命のビザ

監督渡邊孝好、原作杉原幸子、脚本渡邉睦月

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